1.わかり過ぎる
森羅万象、世の中のすべてがわかる本があるとしたらどうしますか。
見た目はどこにでもある普通の本。ところがひとたびその本を開けば、世の中のありとあらゆることを何でも、たちどころに理解させてくれる。そんな本があるとしたらすぐにでも手に入れたいと、瞬間的には思います。でも……。よくよく考えると疑問が湧き上がってきます。
何でもたちどころに理解させてくれる本。そんな便利なものが果して本当に必要でしょうか。人間というのは(人間に限らず生き物すべてかもしれませんが)怠惰な生き物です。自分で考えなくても答えを知ることができるなら、わざわざ苦労して考えたりしません。
おそらく私のごときうつけ者は、すべてがわかる本を手に入れたとしたら、その日から自分の頭では何も考えなくなることは目に見えています。
その結果どんなことが起こるのでしょうか。だいたい想像がつきます。
2.わからない
一方、すべてが書かれているはずなのに、誰にも解読できない言語で書かれている本がローマあたりで発見されたとしたらどうでしょう。世界中からわれこそはと思う学者やマニアが集まり、こぞってその本の解読に取り組むに違いありません。
しかし、何年たっても、誰も解読できないとしたら……。
内容がどんなに素晴らしくても誰にも理解できない本には何の価値もありません。考古学的に価値があれば博物館に展示され、そのような価値も認められなければ、どこかの倉庫で再び長い眠りにつくことになるでしょう。
3.理解を深めるもの
「わかり過ぎても、わからなくてもいけない」
本当に必要なものは、私たちに気づかせ、考えさせ、理解を深めさせるものです。文芸、絵画、彫刻、音楽……。それが何であろうと同じです。あらゆる表現活動に共通して言えるのは「気づかせ、考えさせ、理解を深めさせる」ものが最高の傑作だということです。
最近友人と話していて、そんなことを考えました。